会長挨拶 永嶋昌樹

会長挨拶 永嶋昌樹


「介護の問題」と一口に言っても、それには様々な問題が含まれています。一般的には、介護人材が不足していることや、家庭での介護が大変だということ等ですが、それらは表面的な事象を捉えているに過ぎません。たとえば、「介護人材がなぜ不足しているのか」を考えると、高齢者人口が増えた、高齢化率が上昇し続けている、介護サービスを担うはずの生産年齢人口が減っている、合計特殊出生率が下がり続けている、少子化が止まらない、介護の仕事に魅力を感じる人が減った等々、理由はいくらでも見つかります。これらのうち、人口の推移に関する事柄ついては客観的な事実であり、疑う余地はありません。余談ですが、非婚化や晩婚化が進んでいることも、これらと無関係ではありません。つまり、介護人材の不足という問題は、付け焼刃的な対策ではどうにもならないということです。

    また、介護の仕事の魅力についてですが、何に魅力を感じ、どの程度魅力を感じるのかは人それぞれです。魅力があろうがなかろうが、社会的に必要な仕事であるならば、量も質も何とかしなければなりません。魅力を感じていなくても、自分の仕事としてまじめに取り組み、利用者のために一生懸命になって働いている人もいます。それでは、どのような人材を求めるのかということになりますが、そもそも介護人材を増やせば何もかもが解決するとは限りません。問題はもっと深いところにあります。

    さて、介護保険が始まる以前、介護は第一義的には家族が担うべきだと、おそらく多くの人が考えていました。日本や韓国などいくつかの国以外のアジアの人たちは、現在も大抵そのような認識であると考えられます。年老いた親や障害のある家族の世話をすることは当たり前だと。日本もかつてはそうでした。誤解のないようにお願いしたいのですが、ほとんどが妻や嫁などの女性によって担われていたこと、いわゆるアンペイドワーク、シャドーワークであったことを肯定しているのではありません。

    近年は、若い世代になればなるほど、家族が介護を担うという考えの人が少なくなっています。反対に、介護保険などの社会的サービスを利用すべきだ、だから誰でもが利用できるようにサービスを充実させるべきだ、という考えの人がかなり多くなっているように感じます。

    介護保険を利用する人が増えると、国や地方自治体の財政に確実に影響を与えます。そのため、社会的な介護サービスは縮減される方向に動きます。そうなると、介護が必要な人はいったい誰が支えるのでしょうか。公的なサービスが利用できない、家族であっても自分たちが介護したくない。家族としての責任を考えないことと個人が自由であることとは別の次元の話です。もちろん、人には一人ひとりさまざまな事情があります。「個別化」は福祉の最も大切な価値の一つです。それを踏まえた上で敢えて問います。はじめから制度やICTに頼るのではなく、家族の機能や原初の人としての行動・態度を再検討する必要もあるのではないでしょうか。介護保険に過度な期待と要求をするのではなく、他の方法・手段も考えられるのではないでしょうか。それらを考えたとしても、おそらく近視眼的には現状の問題解決にはまったくならないでしょう。人とかかわるのが面倒だという人が増えました。いや、増えたかどうかはわかりませんが、人とかかわって面倒なことになるのを避けるために、人とかかわること自体を避ける人が増えているように思います。

    容易ではありませんが、小手先の対策ではなく、社会のあり方・人々の考え方を変えていくことこそ大事であると考えます。介護福祉士こそ、「介護の問題」を解決するために社会変革を目指す専門職でありたいですね。